あじさい(紫陽花)の花言葉の意味や由来は?ポジティブとネガティブ
2018/07/28
6月の雨が似合う「あじさい(紫陽花)」。
雨にぬれながらも健気にじっと咲きつづける姿は、まるで日本人の気質をあらわすかのような花ですよね。
あのしっとりと静かに咲く感じが私はすきです^^
そんなあじさいは色もいろいろありますが、実は花言葉もたくさんあるのです。
今回はそんな「あじさいの花言葉」の由来や意味についてご紹介します!
目次
あじさい(紫陽花)の花言葉:ポジティブ編

あじさい全体の花言葉は、
- 辛抱強い
- 一家団らん
- 家族の結びつき
- 元気な女性
です。
日本人の国民性は、
- 勤勉
- 真面目
- 忍耐強い
といわれますし、日本の花としてはピッタリですね♪
あじさいは「小さな花・小さな粒」が集まって、仲良く丸く咲いています。
まるで一家団らん、家族が仲良く肩寄せ合って、思い合いながら暮らしているような感じがします。
「元気な女性」
これは、ピンクや赤味がかったあじさいの色のイメージでしょうか。
赤は元気が出ますもんね!
では、「色別花言葉:ポジティブ編」を見てみましょう。
白:寛容

「相手の意見を聞く」
「穏やかで静かな心を持つ」
という感じがしますね!
ピンク:元気な女性

女性的で、なおかつ元気で活発になれる色ですよね!
青:忍耐強い愛

心を静めたり、落ち着かせる効果があるといわれる青。
「忍耐強く、我慢強く、じっと愛する人を待つ」というようなイメージでしょうか☆
あじさい(紫陽花)の花言葉:ネガティブ編

それでは次はコワゴワ、ネガティブ編をのぞいてみます。
- 移り気
- 美しいが冷淡
- 冷酷
- 無情
- 高慢
よくもまぁここまで、と思うほど並びましたね(笑)
あじさいの花は徐々に色が変化していくため、それで「移り気」という花言葉がついたと思われます。
が、ポジティブ編の「忍耐強い」とは正反対ですよね…^^;
でも、人の心は移ろうもの、仕方ないです(笑)
美しいが冷淡
冷酷
無情
高慢
「えー?美しいのは良しとして、そこまでおっしゃる…?」
青が持つ凛とした色調と花の姿の美しさが、そういう花言葉をつけさせたのでしょうかね…^^;
あじさい(紫陽花)の花の名前の由来は?
万葉集や「和名類聚抄(平安時代の辞典)」でもいろいろな漢字で書かれていますが、もっとも有力とされているのが、「あづさあい(集真藍)」からきているという説です。
「集真藍」とは、「藍色がたくさん集まったもの」を意味しており、
「あづ(集まる)」+「さあい(真藍)」
から
「あづさい」
へ変わり、そして「あじさい」になったといわれています。
あじさい(紫陽花)の花の色ってどうやって決まるの?
あじさいは、開花したあと花の色が徐々に変化していきます。
それゆえ「移り気」という花言葉もあるのです。
日本でよく見られる花の色は、青や紫ですが、その他には白やピンクもあります。
この花の色、じつは土の性質によって決まるのです。
ご存知でしたか?
土が
- 酸性なら青色
- アルカリ性なら赤色
になると言われています。
日本で青や紫のあじさいが多く見られるのは、日本の土がやや酸性だからなのですね。
花の色は、
- 最初は淡い黄緑色ですが
- だんだん薄いクリーム色になり
- それから薄い青色
- 鮮やかな青色
- そして紫がかった青色に変化していき
- 花の老化により、赤っぽい紫色へ
と変わります。
白いあじさいは、アントシアニンという色素を持っていないため、土の性質によって色が変化することはありません。
あじさいの原産地は日本ですが、よく見かける丸い手まり状のあじさいは、じつはヨーロッパで品種改良された「セイヨウアジサイ」なのです。
あじさいは、大きく分けると、
- ガクアジサイ
- アジサイ(ホンアジサイ)
の2種類があります。

ガクアジサイ

アジサイ(ホンアジサイ)
花びらのように見えているのは、じつは萼(ガク)で「装飾花」と呼ばれています。
中央にある丸い小さな粒々が花で「真の花」です。
「花びら」だと思っていたのは、じつは、ガクだったのです。
ガクアジサイは、平べったく「装飾花」のガクが大きく、中央の小さな花「真の花」を囲むように咲きます。
アジサイ(ホンアジサイ)は、「装飾花」が手毬のように丸く咲き、その中に「真の花」が隠れているため、外からはほとんど見えません。
あじさい(紫陽花)の花言葉まとめ
いかがだったでしょうか?
いろいろと奥深い「あじさい」と花言葉。
もう一度まとめておきますね。
ポジティブな花言葉
- 辛抱強い
- 一家団らん
- 家族の結びつき
- 元気な女性
- 寛容
ネガティブな花言葉
- 移り気
- 美しいが冷淡
- 冷酷
- 無情
- 高慢
よくもまぁこんなに正反対の意味が並びましたよね(笑)
ちなみにですが、幕末の1823年に長崎オランダ商館の医師として27歳で来日したドイツ人のシーボルトは、1829年に国外追放となったあと、愛する妻「楠本滝(お滝さん)」を想い、手毬型のあじさいに「オタクサ」と名前をつけ、ヨーロッパに広めました。
その後、そのあじさいがヨーロッパで品種改良され、日本に逆輸入されたため、「西洋あじさい」と呼ばれています。
シーボルトは、長崎市鳴滝で「鳴滝塾」を開き、高野長英や伊藤玄ら多くの日本人を蘭学者に育てました。
シーボルト自身も、いろいろな資料を多数収集して日本の研究を進めましたが、1828年の蘭学者に対する弾圧事件(シーボルト事件)により、翌年国外追放となったのです。
私は以前、この鳴滝のシーボルト宅跡のすぐ近くに通っていたことがありました。
2年間、シーボルト宅のすぐ近くを通っていたのに一度も訪れたことがなく、「なんともったいないことをしたのだろう」と今回「あじさい」を調べながら、しみじみ感じています。
久しぶりに鳴滝に行こうかな…。
皆様も、長崎の雨とあじさい、いかがでしょうか?